2012年3月25日日曜日

梨木香歩『水辺にて on the water / off the water』

祖母の家の裏には川が流れていて、夏には近所の子やいとこたちとたくさん遊びました。
誰からおしえられたわけでもなく、川のどの辺は深いとか、流れが急だとか、体で学んでいったことを今でも思い出します。
小さな川は、祖母の家と隣家との境にも流れていて、祖母の家のにぎわいがかげっていくに従い川も細くなり、家が無人になった今、川もかれています。でもまだ、そこに川があったということはわかる。

あらゆる意味で自分のコアには祖母の家の思い出があって、今でもどこかで川を見ると、それがたとえコンクリートで固められた単なる流れであっても、何か感情がこみ上げてきます。ほとんど海を知らずに育ったので、川のほうがずっと親しい。

大人になり、ボーダー 境界というものへの志向がどうも強いらしい、あちらこちらを意識して、その間にたたずみ、時には越えていきたい。いったいそれはどういうことだろう、ともやもや思っていました。この著者のエッセイや物語に出会えたとき、ずいぶん気持ちが昇華されて、幸福でした。

その中のひとつ。
梨木香歩『水辺にて on the water / off the water』(筑摩書房 2006年)




カヤック、という手段を手に入れた著者が日本の川や運河、スコットランドやアイルランドを旅し、水辺に漂う物語を丁寧に汲み取って思索していくエッセイ。

英国児童文学の傑作『たのしい川べ』の文章とシンクロさせながら、北海道の川をその川に親しんでいる人たちとカヤックで漕ぎ下っていく話や、ダム湖に沈んだ村を湖面下にを思い描き、かつて遊んだであろう子どもたちに思いをはせてカヤックを進めていく話は、著者の境界の捕らえ方、そこに惹かれて入りこんで、世界を理解するきっかけにしていきたいという強い願いがあふれていて胸がいっぱいになります。

カヤックでは水面との距離が近く、パドルをこぐのをやめてじっと静かに佇めば、目の前の風景と自分の内奥との境がうすれていく感覚が読み手にも染み渡ってきます。

著者の影響で野鳥に興味を持つようになりました。何かのときは杭のようになってただただじっとやりすごすサギの一種サンカノゴイとの、出会いと別れで締めくくられるエッセイは何度も読み返したい話です。




沈下橋(高知)

2011年 冬 四万十町窪川

川の増水時に水面下になるように作られたと言われる沈下橋は、暮らしの延長上に川があったことを感じさせる橋です。
四万十周辺には数多く残されているようで、多くの現役の沈下橋からの飛び込みは夏の遊びのひとつ。
歩いてみると、川との距離も近く、橋には欄干もないので、バランスを体が自然にとろうとしていてたのしい。子どもになって一気にわーっとかけぬけたい。

これくらいの規模の橋だと親しみもわきます。

四万十を訪れたのは冬だったので、いつか川の流れでカヌーをしたいなと思いました。



2012年3月17日土曜日

堀田善衞『キューバ紀行』

旅に行くときに、書店にならんでいるガイドブックになかなか手が伸びません。きれいに整理されすぎていてどうもおもしろくない。電車の時刻表のような、膨大なデータをまとめたガイドブックならほしい。

いったいなんなんだ、という姿勢で、見て歩いて考えて人に会って会話もそのまま残してくれた作家がいました。元気がほしいとき、ちょっとゆきづまって突破力がほしいときに読み返す作家です。堀田善衞さん。

代表的な作品は、今でもよく引用される『インドで考えたこと』ですが、『キューバ紀行』もおすすめです。「チャチャチャのリズムにのせて行われた」キューバ革命から10年も経たない1964年にキューバを見て歩いた紀行文。

フィデル!とキューバの人々から呼び捨てにされる若いカストロ首相の野外演説会場での話や、アメリカの植民地的裏庭からの脱出、という宿命的な革命後の国づくりのため、すべて”勉強中”のキューバのあっけらかんとした人たちの話に著者とともに引き込まれます。
革命がいやで逃げたという人たちも少なくなく、でもその人たちのことを悪く言わない。

カストロたちがたてこもったシエラマエストラ山は、革命後学校になっていて、山道の悪路をぶっ飛ばして著者はでかけていく。かつて独裁政権の将校たちから弾薬などを失敬して売春婦たちが運んだゲリラの山は、1000m以上の山岳要塞だったことをはじめて知った。

キューバという小国から大国アメリカに向けられる、生きた、生き抜いた沢山の視線を著者は教えてくれました。











2012年3月14日水曜日

たんかん






















屋久島の南部でひと冬過ごしたことがありました。

ぽんかんからはじまり、海ぎりぎりの島のぐるりがだいだい色で次々と明るくうまっていきます。ぽんかんもおいしいけど、さらにジューシーなたんかんが大好きです。無農薬でたんかんを作っている農家にふらふらと立ち寄り、それからこれまで毎年送ってもらえるのをたのしみにしていました。

一昨年島に行ったときに、はじめてたんかんの木々がある畑に連れて行ってもらい、その環境の厳しさに頭が下がる思いがしたことを今でも思い出します。
海に近い傾斜のある広い土地で、暑い時期に作業するのはあまりにもつらいことが想像されます。鳥やヤクザルの被害も深刻なようでした。

話はちらほらでていましたが、今年は自家用以外の生産をとうとうやめたとのこと。
電話口でおばあさんと話をし終えてからしばらく呆然としていました。
いつもこういうときに思うことですが、失ってからの無力さに、何もしなかったことに落ち込みます。

お店でもたんかんを時々見かけますが、手に取る気になりません。

そんなとき、別の人からたんかんのおすそわけ。なんだかそれはそれはうれしかった。


2012年3月10日土曜日

米原万里『旅行者の朝食』

土地の記憶と食べ物の記憶がつながりやすいのは、食べ物を媒介に旅の思い出と、その土地の抱えてきたものに思いをはせられるからでしょう。
 旅から帰ってきた人に、何食べた?と聞いてしまいます。同じものを食べても、同じ経験を得られるわけではないものの。

個人的には、ガーナでしょっちゅう食べたアマダ(焼きバナナ)が思い浮かびます。よく道端で、コンロの網の上で売られていました。こんがりとろけた茶色で甘ったるく、いくらでも食べられます(一緒に行ったおばは、このアマダ・コンロを苦労して日本まで持ち帰ってきましたが、味はさてどうでしょう)。


米原万里『旅行者の朝食』(文春文庫、2004年)



古今東西の食べ物を追いかけるエッセイ集。題名の作品もソ連崩壊という背景もあり面白いですが、執念と探索、そして最後の小話、と精巧な作品である「トルコ蜜飴の版図」がいいです。

少女時代をすごしたチェコスロバキアのプラハで、ロシア人の友だちからたった一度だけもらった「ハルヴァ」の思い出がはじまり。大人になるまで「ハルヴァ」への執念をまわりに話していたおかげもあり、情報量(おみやげ)も年季が入ります。あれも違うこれも違うと場所も名前も違うものを食べ、時には自分でも作り(レシピつき)、文献をあさり、探してまわります。世界中に網のように伝播された「トルコ蜜飴」の道をたどる話です。

2012年3月7日水曜日

ミチオの心柱

アラスカのシトカにある、星野道夫メモリアル・トーテムポールを訪ねた詩人の谷川俊太郎さんは、詩「トーテムポール」の中でこのトーテムポールのことを”ミチオの心柱”と表していました。

























メモリアル・トーテムポールというのはそれまでよくわかりませんでした。
なぜ、トーテムポールなんだろう?

でも、ちょうどシトカに行く機会に恵まれて、トーテムポールを作って立てるまでにどれほど町の人たちがかかわっているか、大事にしているかを知って心を打たれました。

『地球の歩き方』には載っていますが、立っている現地付近には特に案内板はないので、必ず誰かに教えてもらうことになります。


星野道夫メモリアル・トーテムポールを立てるまでのお話については、雑誌「コヨーテ No.34」に詳しい。
http://www.coyoteclub.net/2009/01/001091459.php
「コヨーテ」は休刊中ですが、またいつの日にか復刊されることを待っています。







2012年3月2日金曜日

梅原猛・C・W・ニコル・西岡常一・宮崎駿・岩波洋造・吉田繁『巨樹を見に行く』

梅原猛・C・W・ニコル・西岡常一・宮崎駿・岩波洋造・吉田繁『巨樹を見に行く―千年の生命との出会い』(講談社、1994年)



女の子が屋久島の縄文杉にタッチしながらほれぼれと見上げてる写真が表紙になっている本ですが、今はもう撮れない写真です。土壌を守るためにそばによれないようになっています。

でも、屋久島には今はまだ、そばにいって、さわっていつまでも見上げていられる立派な屋久杉がたくさんありますから(そばに行くのに命がけの場合もあるかもしれませんが)。

本当に木が好きで好きで尊敬している、という人たちが著者として寄せている写真と文章を見ると、巨樹のぐるりのことへの理解を含め、もっとわたしも歩いてたずねて行こうと思うのです。


日本一の大杉

日本一の大杉は高知県の大豊町にありました。
国道32号から少し山に入った八坂神社の境内にあります。 

2011冬


屋久島の千年をこえる屋久杉たちもそうだけれど、なぜこの木が、今ここに3000年の時を経て残っているのか。この木だけが。

映画「もののけ姫」の中で昔は動物は大型ばかりだった、今は小物ばかりになってしまった、と嘆く場面を思い出します。

かつて巨木が群れなしていた日本の山はどんなだったろう。 


年月を経た杉の肌の波打つ模様が美しいです。

2011冬