2014年11月29日土曜日

有吉佐和子『複合汚染』

今年(2014年)は作家・演出家の有吉佐和子没後30年ということで書店に作品が平積みされていた。

10年以上前、『複合汚染』を初めて読んだとき、歯磨きには塩で十分、という文になるほどと思い実践したところ塩辛くて続けられず、ナスの黒焼きも試し、結局せっけんハミガキ粉に今は落ち着いた。それでも試行錯誤の過程は、なかなか楽しかったと思う。何よりもう、市販の歯磨き粉はどうしても不味いし、味覚は大事にしていたいので歯磨き粉の原料は理解の及ぶ範囲のものを選びたい。

そう、正義感と知識欲を持って書かれた、警告小説としての『複合汚染』を読んで得られたのは、理解の及ぶ範囲の選択をしていきたい、という人生軸だった。急いで付け加えておきたいのは選択を狭めてしまうというのではなくて、知らないことを学ぶことは好きだし持ち続けたい。複雑さの網を解きほぐしていく過程はたのしいし、必要なことだ。

1975年版のこの本において、農薬、化学肥料、食品添加物、排気ガスの影響は個々具体的に例として表れているが、いま日本人の2人に一人はガンになるとされている現実を、作者が生きていればどう言っただろうか。さらに、作者の知らない複合汚染要素は、原発事故による放射能汚染、遺伝子組み換え作物、PM2.5と増え続けている。


作者の時代より環境影響評価制度は進み、排気ガスや工場操業による大気汚染は減り、有機農法・無農薬のお米や野菜は流通されやすくなり手に入りやすくなったとは思う。それでも、それはオプションの領域を脱していない。本流から離れた支流のひとつくらいにはなっているだろうか。

農家にも、林や森やけものや鳥たちにも、土にも空気にも、食べる自分にも、おいしくて何もおそれることのない環境社会でありますように。



天城の発酵する森

紅葉を求めて天城山に行ったらカエデもブナも葉を落としていていささかがっかり。がっかりした気持ちをころがしながら登山の始まりです。

思いがけない凍りつく寒さにも迎えられ、何度か歩いてる山道なのにどうも調子が違うのは、これは意識している以上に寒いぞ、と思いながらも登っていく。

ブナの森はすっかり冬のつめたい姿の森だった。

万三郎岳山頂について一息つき、パンやビスケットをかじっているとたちまち背中からつめたさが這い登る。縦走はまた今度、逃げるように下山を開始した。

海からの風があたらない側だからだろうか、少し下山しただけで何か自分がゆるくなってきたのを感じる。まさに解凍(チン)。も少し歩いてすっかり解凍(チン)。

気がつけば落ち葉の積もった場所まで降りてきていて、そこの静かに満ちた空気感につつまれていて、秋の幸福感を味わえました。手に取った赤い紅葉たちが木々にあるときも見てみたいけれど、天城の発酵する森もいいものです。


アラスカ タルキートナ 2014


2014年10月26日日曜日

カニグズバーグ『魔女ジェニファとわたし』

カニグズバーグ『魔女ジェニファとわたし』に、ハローウィンのお祭りで子どもたちが近所の家にお菓子をもらいに行く場面が描かれています。主人公の新しいお友達ジェニファによるこの「ハローウィンのおふせまわり」はかなり傑作で、転校してきてから友達のできなかった主人公の前にあらわれた変わった子・ジェニファとの間に起こる、ふたりの内緒で特別な日々を予感させてくれます。

子どもの本というのは旬の読み時期というのがあるようですが、たしかにこの本を登場人物と同じころに読んだ子どもたちは幸せだろうなあ、と少々うらやましく思います。友人としか通じない言葉やルールやぜったいの約束、ストレートな気持ちとの葛藤など、『魔女ジェニファとわたし』を読んでここに”わたし”がいる!と夢中になり、それは結局その子にとって救いになった子どもたちがアメリカや日本にたくさんいたはずです。




きのこへの道

「なぜ山に登るのか―そこに山があるから。」の言葉は、山登りをする人もなぜわざわざ山登りをするのかまったくわからない人にもよく知られている。初めて山に来ましたという人から、山というのを実際上も精神上もフィールドとして生きている人みんながみな、この問いかけへの自分なりの言葉を持っているはずでそれはそれで聞いて回ったら面白いだろうなあと思う。でも山登りについてすべてを一言であらわす言葉というのも実は難しいような気もする。


さて。なぜ月山に登るのか、の答えは即答、頂上できのこたちが待っているから、である。
でもそんなにすんなりたどりつけなかったり、おもいがけない遭遇があったりする。同じ山、同じ道でも、一度として同じ山行というのはないのです。

帰りは志津温泉まで歩いたところ、途中のブナの原生林の偉大さに圧倒された。ちょっと特別な場所のような雰囲気で、ここはいつか新緑のころにまた来たいなと思いました。



 
2014 晩夏 月山




















2014年9月28日日曜日

沢木耕太郎『貧乏だけど贅沢』

成田空港で荷物を預けた後もう持たないもう持たないと思いながらも青山ブックセンターをうろうろしていたら、平積みで1冊だけ残っていた沢木耕太郎『貧乏だけど贅沢』につかまりました。ミュージシャン・俳優・作家・学者・プロ雀士・・・との旅をめぐる対談集。

この本を手に取る人の入り口は、この対談者のうちの誰かの話を聞きたいから始まったはずで、 もちろんお目当ての人の話はそれはそれで満足なのだけれど(私の場合は井上陽水と今福龍太)、それ以外の人の旅の話も読んでいてとても楽しいものでした。

自分では取らない旅のかたちではあっても、そういう旅もあるんだ、と本当に旅というのは歩き出してみればその人一人ひとり違うかたちであらわれるところに面白みがある。


今回アラスカに行ったのはまだ7度目だけれど、これまで通った海沿いの南東アラスカを離れて、内陸部にはじめて入った。アンカレッジの立派な飛行場、町の規模、用意されているアクティビティなどの広告、に圧倒されながら、6年前に小さな町・ジュノーからアラスカの地にはじめに入ったのはよかったかもしれない、こうしてアラスカに魅かれ通うことになったのだから、とこの本を読みながら思いました。


タルキートナ 旅メモ

アラスカ・タルキートナへの旅メモ(2014年9月後半)。

- アンカレッジ/タルキートナ間はバスを利用。行きはThe Park Connection帰りはYukon Trail。
行きと帰りが違うのは、The Park Connectionは9月16日でシーズン終了なため。アラスカ鉄道も夏季運行は9月14日まで。The Park Connectionはアンカレッジ博物館(Anchorage Museum)の玄関側から出る。(循環バスのバス停ではなく!)

- 12日間アンカレッジ・タルキートナ滞在中、晴天は2日のみ。快晴の日はタルキートナのダウンタウンからもマッキンリー、フォーレイカーが見えた。

- Talkeetna Historical Society Museum: ダウンタンのメインストリートから少し奥に入ったところにある。ゴールドラッシュで栄えた時代の展示と、マッキンリー登頂の歴史の展示。

- Talkeetna Ranger Station: デナリ国立公園の案内が受けられる。マッキンリー登頂成功の各国の旗が垂れ下がっている。

- カフェなど: Roadhouse(毎日のようにサワドウパンケーキを食べた)、Flying Squirrel Cafe、Snow-City Cafe(アンカレッジ)、Talkeetna Library。



Talkeetna 2014

2014年7月29日火曜日

茂木健一郎『熱帯の夢』

ニュージーランドの森の中で、くるくるとらせんを描くように舞い交わす小さな鳥たちを見たことがあります。
ファンテイルというその名のとおりの大きな扇のような羽を蝶のようにひらめかし、空気に遊びながらくるくると飛び回る鳥たちは夢のようだった。ちょうど森の中を抜ける未舗装の工事中の道路をキャンプサイトまで重い荷物を汗だくになりながら歩いていたところで、お目当ての虫がたくさんいるのだろう、人が近寄っても逃げようともしない。飛ぶというより舞い降りるファンテイルを見つめた瞬間は、ニュージーランドの森への洗礼を受けたようなものだった。

茂木健一郎『熱帯の夢』は、かつて昆虫少年だった脳科学者が、尊敬する動物学者・日高敏隆氏とコスタリカを旅した記憶です。講談社新書ビジュアル版として、中野義樹氏の写真も著者の思考を追いかける助けとなっていて、人工衛星からもその青い輝きが確認できるといわれるモルフォ蝶へのあこがれを知ることができます。
森の中を行進するハキリアリとの出会いでは、脳科学における「インアテンショナル・ブラインドネス」を引き合いにしています。視野の中に見えているはずの変化に気づかない、意識が向かない、覚醒すればこんなに不思議なことはない、と。こういう経験はよくわかる。同じ世界を見ているはずなのに、心は別々のものを見ている。

コスタリカの森に住む世界でいちばん美しい鳥「ケツァール」へのあこがれ。あこがれは旅を引っ張って熱帯の森への意識を開かせてくれる。時に少年時代・青年時代に記憶が行き交う熱帯の夢の本です。




2014年7月28日月曜日

御蔵島

旅のジャーナルが残っていないのですが、もう10年くらい前に御蔵島に夏に行きました。

ぼんやり記憶をたどってみる・・・真夏の夜、竹芝桟橋からフェリーに揺られる。船酔いするとわかっていながらもカレーを食べて当然気持ち悪くなりその後船旅ではカレーに手を出さないルールができた。
島は切れ落ちた断崖絶壁に取り巻かれている。島は、宿泊場所をあらかじめ決めていないと入島できないという入島制限をしていて、その時はバンガローに泊まった。野性のイルカと泳げるこの島に引き付けられ通っていた友人に付いてきたのだが、泳げない。結局島の海側からイルカ数頭の姿を見つけることができて、それで満足できた。
何より島は森が深く、南の島の巨樹の森である。ガイド同行が義務付けられている指定地域のハイキングも、夏の海と空を間近にしながら森を上ったり下ったりと、このことはその後10年近く経とうとしても鮮明に覚えているのはよほど爽快に楽しかったのだろう。

先日御蔵島に行った人と立ち話をしていたら、話の雰囲気だけで島のインフラは変わっていないことを感じた。商店や食堂は観光客を目当てにはしていないのです。外から入ると不便に感じることはあるかもしれないけれど、ようやくありつけた食堂のご飯がとてもおいしい。


御蔵島


2014年6月29日日曜日

モーム『アシェンデン 英国情報部員のファイル』

今年(2014年)は第一次世界大戦勃発(1914年)からちょうど100年の年、ということに気がついたのはサマセット・モームの『アシェンデン 英国情報部員のファイル』を読んでいたときです。モームが情報部員、英国スパイであったことはどこかで覚えていたものの、画家ゴーギャンの人生を描いた『月と六ペンス』や『人間の絆』など、国民作家という印象が強くて、スパイのイメージからは遠いものでした。でもこの『アシェンデン』を読んで納得がいきます。スパイ活動は人間観察のたまものであり、モームはそこに飛びぬけた才能を持っていた。

内容は、さまざまな国・土地を舞台にした諜報活動の短編を集めた話です。読み進めていくと、モームがいかに人間観察を楽しんでいたかに引き込まれます。第一次世界大戦の主軸(対ドイツ)はもちろんのこと、その舞台を取り巻いていた動乱―大英帝国からのインド独立運動やロシア革命―にかかわっていたのは、具体的な一人ひとりの人間であることがよくわかります。

人間の複雑性への追求、客観的ながらも、実に追い詰めていくアシェンデン。

読後なぜか元気になる本です。

平日谷川岳

昨年(2013年)6月初旬に谷川岳に行った時の話。

上毛高原駅からの始発のバスには友人と私以外誰もおらず、巨大なロープウェー乗り場もお土産売り場と係りの人以外観光客の姿を見かけず、たしかに平日の空いているときを狙ってきたもののあまりの閑散さに不思議なおそれをおぼえました。朝から売店に用意されていた玉こんにゃくはあきらかに煮詰まっただろう。。

ロープウェー終着(1,319m)から山頂のトマの耳(1,963m)までの天神尾根往復では、結局認識したのは3組くらいです。肩の小屋直下は雪が残っていたものの、ロープも張られていたので問題はなし。もやの中のブナ林歩きから始まり、小さいながら色の鮮やかな高山植物たちに見ほれつつ、ゆるゆると上がって降りてきました。

8月11日が「山の日」として制定されるようですが、あの閑散としていた、延々と続くロープウェー乗り場のことが思い出されます。混雑時は長蛇の列になり、始発と帰りのバスは通勤電車並みの混雑になるのだろうか。。。 登山ブームは決して悪いことではないとは思うけれど、もう少し山へのストレスが分散するといいなとは思います。以前、山雑誌で見かけて苦笑させられた「雪が降ったら会社を休んで山に行こう」は難しいにしても。


谷川岳 2013




2014年5月31日土曜日

多和田葉子『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』

本を読んでいる途中で次から次へと自分の中から思い出や思考が立ち現れてきて、読みながら同時に進行する、という本に時々出会います。

多和田葉子『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』は面白い読書体験になりました。著者の旅先での具体的なエピソードから連なる多言語文化への洞察に影響されて、自分の中の経験としての言語文化的な境界が立ち現れ、解けていきます。言語文化の境界は国や民族ではなく、個々それぞれの中にあるもの、ということを深く意識します。言語というとかしこまって向き合ってしまいがちですが、ドイツ語と日本語で長い間創作してきた著者のことばは、日本語への意識も呼び起こさせてくれます。

単行本は10年前に出された本ですが、よい一日を、とぬけぬけと言う人に会うようになった、と辛くも書かれているのにいたく同感しました。私自身、旅を楽しんでね、などと挨拶として軽く言われる際にうろたえることが多く(もちろん日本人同士の日本語で)、そのうろたえる気持ちの扱いに困っていたのですが、ああ同じように感じている方はいるのだ、と少し安心しました。



 

2014年4月29日火曜日

西前四郎『冬のデナリ』

今年は冒険家の植村直己が冬のアラスカ・マッキンリーで単独登頂後消息を絶ってから30年の年。植村直己の母校・明治大学で開かれた記念フォーラムに行ってきました。
会場の大教室は背広姿の白髪の人たちで占められ、壁側には北極圏犬ぞり12000キロ達成時の満面の笑顔の大型写真が降ろされています。その写真を撮った写真家も今日の語り手の一人。

話は君子夫人と山岳部時代の友人とのトークショーからはじまり、探検家・関野吉晴の基調講演、続いて垂直の時代/水平の時代の関係者の話がありました。

君子夫人の「目に星が五つもあるような人」という話や、「植村直己の友人の・・・と言われるのがくやしくてしょうがなかったが、今度生まれ変わったら植村研究をしたいと思います」と話す山岳部の同期の話。 

突き抜けた登山家・冒険家がそろい、植村直己についてぽつぽつと語り合うのを聞かせてもらえた、本当に夢のような時間。

冬のマッキンリーでの遭難者は、植村直己以外はすべて発見されているとのことでした。


西前四郎『冬のデナリ』は、冬のマッキンリー(アラスカ現地の名前でデナリ)に1967年初登攀した若者たちの話です。
この話はどうジャンル付けしたらいいのだろう。ノンフィクションですが物語りとして、筆者自身も物語りの中の登場人物の一人、次郎として描かれています。それも1967年の出来事から30年近く経っての出版。それだけの時間が必要だった。

話は登山好きの日本人学生と夢想家ヒッピーのアメリカ人がアラスカで出会うところから始まります。 冬のデナリ挑戦という構想に引き寄せられた、国籍も職業も異なる8人の若者を待っていたのは、夢など吹き飛ばす自然環境と苛酷な運命でした。デナリ頂上直下の爆風は有名ですが、「ナイアガラの滝のよう」という形容は、よく知らしめてくれます。

この本は子どもの本専門の福音館文庫(小学校上級以上むけ)として出されており、書店のアウトドアの書棚にはなかなか見当たらないのですが、世代の垣根を越えて読みつがれ語り継がれる本であるといいなと思います。運命について、それでも挑戦していくということについて知るために。




山の上 雪の中のポスト

3月初旬に行った山寺は雪の中にありました。ところどころ雪を踏み抜いてひやりとさせられたりしながら奥の院まで行くと見事に閉鎖中です。でも元旦は開かれるとの掲示があります。元旦にここまで来るのか。。。

奥の院までの長い参道の途中で雪の中のポストに目が止まります。雪をかきわけられた中にある赤いポストが山上での暮らしを物語っているようで、夢中で写真を撮りました。

山寺から月山山麓の志津温泉に行き、毎年このために生きているような気もする山の幸に囲まれたご飯に集中していると(つくづくきのこ中毒だと思う)、部屋の隅にあるテレビの映像が何気なく目の端にとまります。あれ・・おや・・どこかで見たような・・いやまさか・・さっきまでいた冬の山寺。

山寺参道の中腹にお住まいのお寺の方々と雪の参道を軽やかに駆け上ってくる娘さんたちのほがらかな映像が、自分で見てきたばかりの雪の中の赤い小さなポストとつながり、静かに心打たれました。



2014 山寺



2014年2月27日木曜日

田島征三『ふきまんぶく』

ふきまんぶくのふきちゃんが表紙の絵本、田島征三『ふきまんぶく』の初版は1973年で、もう40年前の絵本です。扉のことばに、絵本の舞台になっている東京都西多摩郡日の出村ではふきのとうのことを「ふきまんぶく」と呼んでいる、とあります。絵本は、ふきのとうと小さな女の子の幻想的な話で、これは何か土地の民話の土台があるのではないかと少し思います。この話は他の植物では思いつかない、ふきのとうでなければちょっと成り立たない話です。

田島征三さんの講演会に行ったのはもう10年前になります。小さな会議室のような部屋で、絵本創作と日々の暮らしの話を聞きました。日の出町の一般廃棄物最終処分場建設反対運動を経てもう日の出から移住した後で、体調もすぐれないようでしたが、まさに絵本の土の生命力にあふれておられました。前列に座っている子どもたちに向かって、真剣な表情で「トトロっていうのは本当にいるんだよ」と話をしていたのを強く印象に残っています。ああ、いい大人だ、と思いました。

「切り倒されていく木々の間を、小動物たちがぴょんぴょん飛び回っているのが見えるんです。」と万感こめて話をしていました。
 自然保護運動というのは抽象的な数字や理論よりまさにこういった、見てしまった、経験が土台になっている、と感じます。








2014年2月23日日曜日

ふきのとうとDNA

梅の香りがふっとだたよう季節になりました。黒い荒い肌の木に散りばめられた白い梅の花は青い空によく映えます。
春、春、と連呼されるのに反してもう少し丸まって冬に閉じこもっていたいという頭を自然に持ち上げさせてくれるのが梅の香り。

雪解けのころに山あいを旅をするのが、気がつけば毎年の習慣のようになっている。街からぽんとたどりついてふらふらと歩きだしてから、初めて見つけたふきのとうで何かがぱっと破裂するように喜びが広がれば、あちこちにあるふきのとうが目に入ってくる。

ふきのとうに対する喜び、それは苦味や美味を瞬間に思い出しているのだけれど、その感情をいま見つめてみるとちょっと不思議な感じがします。好きな食べ物を単純に喜ぶというより、もっと根源的なDNAにすりこまれた喜びというか。いつごろからふきのとうが食べられていたのかは知らないけれど、昔の人が迎えた春の喜びにふと思いをはせることができる。五感が今よりももっと豊かであったであろうころの話。



かたくりの花

2014年1月31日金曜日

服部文祥『百年前の山を旅する』

服部文祥氏の『百年前の山を旅する』が新潮文庫になっていました。

テントやコンロ、ガスなどの燃料は持たずに山に入り、岩魚や鹿を獲る”サバイバル登山家”の著者が、登山黎明期に山を歩いた人たちの記録に魅了され、同じ道を歩いて感じたことをまとめたものです。当時の装備を身につけ、彼らが歩いたであろう古い道をさがしてたどり、何を見何を感じたかを求めて歩いています。

表紙写真にもなっている「ウェストンの初登攀をたどる」ではウォルター・ウェストンと上條嘉門次による奥穂高南陵初登攀(1912年)の旅を求めて、廃材と藁紐で背負子をつくり、脚絆を巻き、「最低限の装備を載せた背負子に笠をくくりつける」といった具合です。古道をたどり穂高の岩峰を登る中で、登山家の著者にとって慣れ親しんだ穂高が新鮮な喜びとなっていました。

ただ真似て昔の山旅を羨むのではなく、その過程で初期の登山家たちの自由な精神を著者自身も深めていくのが伝わります。

どこにもそんなことは書いていませんが、これは読むだけで終わる本じゃないかもしれない。読んでしまったあなた自身さてどんな山旅をしようとしている?と挑戦している本のような気がしました。

著者の服部文祥氏のロシア極東北極圏をトナカイ遊牧民と旅した話は「岳人」でちょうど連載されています(2014年1月号~超・登山論ツンドラ編)。デルスウ・ウザーラとナンセンにあこがれた著者の遊牧民紀行は全然ロマンチックではない現実的な有象無象で始まっていて、それはそれでおかしい。トナカイ遊牧民のトナカイ解体の話になると”サバイバル登山家”としてレポートが冴えます。






2014年1月27日月曜日

旅への指南書

ラジオで、作家の角田光代氏が最近日本人が旅をしない、特に若い人が旅に出ない、という話をして沢木耕太郎『深夜特急』をおすすめしていました。

学生時代に私はそれほど旅をしたというおぼえもなく外国にもほとんど興味がなく、そもそも旅は自分のもので、他の人が行く行かないで比較してとらえてこなかったので日本人が旅に行かなくなったと言われても、ああそういうものかと思います。

『深夜特急』を10代に読んでもじゃあ香港に行ってバスを乗り継いでヨーロッパを目指そう、という気にならなかった。でもいまは大きい飛行機から小さい飛行機を乗り継いで、バスに乗って、歩いて、さらに遠くに行きたいと思っている。

ブルース・チャトウィンの本を読んでもなんだか難しいし辛そうだし旅に出ようとは思わないかもしれない、でも旅というのは重層的に、または連なった経験として確実に人を形成するもの、という気がします。なんとなくブルース・チャトウィンのような世界の旅人は実は結構いるのではないかとも思う。




中くらいの飛行機