2016年4月24日日曜日

ブルーノ・ムナーリ『モノからモノが生まれる』

飲食店に入って昔ながらの布のおしぼりが出てくるとほっとする。逆に、ビニールに入った湿った使い捨てのお手拭きが出てくると、いいお店でもそれだけでがっかりしてしまう。
駅でおにぎりを2つ買ったらお会計をしているスキにおばちゃんにお手拭きを2つ入れられてしまった。そもそもいらないのに、とも言えず。

こんなことを話のマクラに使うとすごくおこられそうだ。好悪を問わず、とにかく気になったモノの観察から世界は始まるんだ、というブルーノ・ムナーリの『モノからモノが生まれる』は予想以上にキビシイ、デザインの実践的な哲学の本である。
イタリアの工業デザイナーのブルーノ・ムナーリは、その世間的な肩書とは違って、ある人にとっては絵本作家として記憶され、私にとっては何より次の言葉を残した人である――私たちは植物なしには生きられないが、植物は私たちなしでも、じゅうぶん生きていける。

モノの背後には人があり、世界があり、捨てても捨てきれないモノがあったはず。デザインの意義を考える手引きとして最適な本。




 

大山とたいまつ行列

2,000本のたいまつの炎が、闇の中で河となってゆっくりと流れ降りる。
燃えるたいまつをかかげ隙間なく行列となって参道を下っていく人の中にいると、炎でまぶしく明るい。でも少し参道の脇に目をそらせばそこは山の神社の神域を感じさせる木々と深い闇が奥に続いていた。

場所は日本海側に長いすそ野を広げる鳥取県の大山です。夏山開山日前夜の行事で、2015年の開催で69回目になるとのこと。

夕方、雨上がりのブナ林が美しい山歩きからちょうどたいまつ行列のスタートになる大神山神社奥宮に下りてくると、人がわさわさと準備をしていて、階段には三脚を抱えた人たちが場所取りをしている。参道沿いには三脚がズラズラズラと並び、ヨン様登場か、とこの時はまだ行列の何たることを想像もしなかったわけだった。

たいまつ引換券、なるシステムにもその気を抜かれさせるものがあり(手ぬぐいのお土産付き)、行列への構えとか期待とかはさらに下がる一方。


まだ夕暮れの明るさの残る中で始まった奥宮での神事は人の多さでまったく見えない。太鼓の音だけがスピーカーから聞こえる。いつの間にか、本当に2,000人くらい人が集まって何かを待っている。

神事が終わり、神火が運んでこられ、行列が始まった。

自分のたいまつに火をもらうために行儀よく順番を待つ。人工のライトなどまったくないなか、2,000人が、次々と、炎の河の一部になっていく。

カウントとしては夏山開きは69回目だけれど、はるか昔から、こうしたたいまつ行列はあったことだろう、大山を背後に、炎をかがけて、歩く。その集合体としての思いはどこにどう向かっていたのだろう。同じ道を、今私も歩いている。不思議な気持ちだった。

 
 
2015 大山夏山開き前夜
 

大神山神社奥宮