2012年10月28日日曜日

須賀敦子『本に読まれて』

昨日はイタリアに何かしら関わりのある人たちに偶然3人も会い、さらに電車の中で読もうと持っていた本が須賀敦子さんの本でした。得られてとらえた符号は大事にしたい。いつかはいつかはと思いながらとりあげられなかった須賀敦子さんの本について少し書きます。

1929年生まれ。戦後パリ・ローマに留学後、ミラノの革新運動を支えた「コルシア書店」に入る。夫の死後帰国し、上智大学の教壇に立つ。

深い教養、という言葉がそのまま、いきいきと当てはまる人だったのだと思います。文学の背景に控えている、個人の信仰・思想とそれに基づいた行動を美しい文章で残してくれました。

ウィリアム・モリスのデザインが表紙の『本に読まれて』(1998年)は本にまつわるエッセイ集です。
本を読む、というのは信条と経験の積み重ねにほかならない、というその幸福感が共感として味わえる作品が連なっています。

たとえば「世界をよこにつなげる思想」。
著者の若いときには灯台のように、そしてそれからも呼応してきたヴェイユへの深い思いと、ヨーロッパ文学を理解するときの思想的背景への理解を欠くことの危険性を教えてくれています。

「フランスやイタリアには、青春の日々に、ヴェイユやムニエやペギー、そしてサン=テグジュペリを読んで育った世代というものがあるように思う。」

読んで育つ、ということがそのまま血となり肉となりその人を形成することを意味し、世代としてのつながりを持たせる圧倒的な文学の力、というのはもう今はあこがれでしかなく、うらやましいとしたら、須賀さんに申し訳ない気持ちがわいてきました。