気持ちがとっちらかっているとき、詩集をぱらぱらめくって眺めたり声に出したりしています。そうするうちに、なんだかすーっとととのって静かになってくるから不思議です。
茨木のり子『詩のこころ読む』(岩波ジュニア新書 1979年)
本人も詩人である著者によって選ばれた詩のアンソロジー。
好きな詩への思いもつづられています。
私は工藤直子「てつがくのライオン」永瀬清子「諸国の天女」がずっと変わらず好きです。
「てつがく」するライオンと「かたつむり」の対話がなんともやさしい。容易な内容ですが、「言葉を使う術が非常に洗練されてい」る詩だからこそその惹きつける力が大きいのでしょう。
羽衣を忘れた天女伝説が土台の「諸国の天女」は、日本語はまさに縦書きなんだ、と納得させられる美しい詩です。
「家」というものが絶対のものであった時代、”ご飯は皆が済んでから”という時代の女性たちの気持ちをくむ詩です。それは今の時代にも、形を変えて共感を得ていると思います。
詩の合間あいまに挿入されている田沼武能、土門拳、島田謹介の写真にも深い配慮が感じられる、素敵なアンソロジーです。
茨木のり子『詩のこころ読む』(岩波ジュニア新書 1979年)
本人も詩人である著者によって選ばれた詩のアンソロジー。
好きな詩への思いもつづられています。
私は工藤直子「てつがくのライオン」永瀬清子「諸国の天女」がずっと変わらず好きです。
「てつがく」するライオンと「かたつむり」の対話がなんともやさしい。容易な内容ですが、「言葉を使う術が非常に洗練されてい」る詩だからこそその惹きつける力が大きいのでしょう。
羽衣を忘れた天女伝説が土台の「諸国の天女」は、日本語はまさに縦書きなんだ、と納得させられる美しい詩です。
「家」というものが絶対のものであった時代、”ご飯は皆が済んでから”という時代の女性たちの気持ちをくむ詩です。それは今の時代にも、形を変えて共感を得ていると思います。
詩の合間あいまに挿入されている田沼武能、土門拳、島田謹介の写真にも深い配慮が感じられる、素敵なアンソロジーです。